公開日
2025/08/20
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雑誌『本質学研究』第17号における論考「学びの構造転換は、何のために、何を為す――教育学研究のメタ理論体系に基づいた自由進度学習のM-GTA分析を通じて」の掲載
※上記書影は、下記する当該雑誌の紹介ページからの引用
雑誌『本質学研究』第17号(2025年8月20日発刊、本質学研究会)に、当法人の代表理事・山口裕也の論考をご掲載いただきました。
タイトルは、「学びの構造転換は、何のために、何を為す――教育学研究のメタ理論体系に基づいた自由進度学習のM-GTA分析を通じて」です。このタイトルにもあるように、本論考は、雑誌『信濃教育』1659号に掲載いただいた「【AIによるインタビュー】学びの構造転換の、その先へ――単元内自由進度学習の成果と課題から考える、これからの授業研究への期待」の、いわば前日譚に当たるものです。
以下は、本論考の結語からの引用です。
本研究では、自由進度学習を実践する教員2名に半構造化インタビューを行い、その背景にある考え方や見方をM-GTAによって構造化した。その結果、自由進度学習が、年度当初におけるアドベンチャープログラムや教室リフォームを通じた自由の実感と、その土台に立った意味の対話によって支えられていることも明らかになった。 改めて、学習指導要領等との関連も整理しておく必要があるだろう。例えば、現行要領は、主体的・対話的で深い学びを通じた資質・能力の育成を総則に掲げる。ここでの資質・能力が「有能さ」を意味するコンピテンシーの訳出であることは、よく知られている。子供たちは、適切な環境と条件さえ整えば、自ら学び共に成長していくことができる有能な存在である。二人の先生は、この考え方を、あらゆる教育行為の前提にしていた。 さらに、である。次期要領は、既述のように、子供たちが生命や自由、幸福を追求する権利主体であることを明示する改訂になると考えられる。教育の対象である前に一人の人間であるというこの見方も、二人の先生は既に内在させた上で子供たちに寄り添っていた。 情緒的な表現になるが、その温かいまなざしとふるまいは、ずっと印象に残っている。ここで付記すると、まとまりのあるゆったりとした時間割の中でのびのびと学ぶ子供たちに寄り添う姿からは、先生自身のゆとりも感じられた。学年で協働して単元表やルーブリック等を準備し、ひとたび子供たちが学び出せば、授業の最中に次の展開や手だてを考え、創り出していく余裕があるように思えたのである。このことは、自由進度学習の実践可能性を考える上で、大きな希望だろう。
しかしながら、本研究は課題も残している。 〔中略〕 最後に、図11を見てほしい。子供たちは、仲良しグループで机をアイランド型にしたり、思い思いの場所に集まったりして学んでいる。黙々と問題や課題に取り組み、時には話し合い助け合うような姿が見られることも想像できるだろう。実際、自己選択や自己決定は、内発的な動機づけはもちろん、記憶力や創造力、責任感や幸福感との関連も例証されている。 しかし、ここで着目してほしいのは、子供たちの視線である。仲間の表情やノート、作品に持続的に注意を向けたり、何かを共同注視して共に考えたりしている時間は、果たして、充分だろうか。そう問うてみてほしい。類似性の仮説に基づけば、「類は友を呼ぶ」傾向も考えられる。つまり、学びを広げ深めるような多様な仲間との多様な関わりは、充分に起きているだろうか、とも。 筆者の実感としては、少なくない自治体や学校が、これらの問いに直面している。〔中略〕デューイ来の批判の変奏、いわば「学び方あって教科の本質知なし」である。 そこで、図11の状態を、「場は共にしていても、思考は共にしていない」と名付けたいと思う。その上で、この状態を乗り超えるために必要な環境や条件を、意味の対話の土台に立ち、目的と方法の議論を通じて明らかにすること。学びの構造転換、ひいてはそこから始まる公教育の構造転換を不可逆かつ持続可能なものにするためのこのことが、今後の課題である。
なお、本論考の研究は、名古屋市教育委員会の「特定分野に特異な才能のある児童生徒への支援の推進事業(文部科学省)」に関する取り組みの一環として行われたものであることを付記します。当法人では、この取り組みを令和5・6年度の2年間に渡って支援させていただきました。
ぜひ、ご覧ください。
・雑誌の紹介ページ(本質学研究公式ウェブ)
・参考(当法人公式ウェブ内)
・参考(当法人公式ウェブ内)
・Googleドキュメント形式での公開(当法人公式ウェブ内)
Googleドキュメント形式での論考の公開について、本質学研究事務局からご許可いただきました。ユニバーサルな読書環境を提供するためものです。
※こちらのリンクからは、Googleドキュメントに直接アクセスいただけます。